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2014年8月18日 (月)

渋川山車まつり/御巣鷹山慰霊登山①

渋川山車まつり/御巣鷹山慰霊登山①
渋川山車まつり/御巣鷹山慰霊登山①
渋川山車まつり/御巣鷹山慰霊登山①
8月17日は二年に一度開催の「渋川山車まつり」二日目最終日を見に行きました。
1歳の時から毎回欠かさず見てます(平成16年の一回のみ欠席)

19台の山車が巡行する渋川山車まつりは、50㍍〜100㍍もある2本の曳き綱を、先頭の綱頭の裁量で左右に、上下に、時に蛇行して曳き合い、曳き手同士がぶつかり合い、気勢を上げるもので、関東のみならず全国に例のない「あばれ山車」です。
山車からはみ出して据え付けられた大太鼓は、叩き手が命綱を付け、全身を山車の外に放り出して華麗に舞いながら叩きます。新町の『水車流』、坂下町の『雲竜型』など各町腕自慢の若連の演技を見比べるのも楽しいものです。

渋川宿は慶長18年(1613)に箕輪城主井伊直勝によって町割され、寛永7年(1631)には六斎市が始まり、市場町として発展しました。承応3年(1654)安中藩主水野備後守元綱は市の繁栄を願い八坂神社を創建、寛文3年(1663)に中之町に御旅所を設け、神輿渡御が行われました。六斎市の隆盛とともに市日の祭として行われていた祭礼が、渋川祇園として定着し、安永年間(1772〜81)には前橋などから購入した芸屋台や錺屋台が登場します。これが現在の山車まつりのルーツです。

お囃子は「さんてこ」と呼ばれ、伊勢崎周辺を中心に、熊谷・深谷・本庄など埼玉県北部に分布が見られます。江戸系の囃子より悠長で哀愁があり、時に荘重です。小物は神田囃子などの影響が見られると云われます。
笛は、江戸時代から明治初期には上陽村・前橋市などから笛師を呼びました。その頃の笛は竹や篠でしたが、明治30年に横室の萩原元治が梅の木を削った「梅笛」を考案したところ、圧倒的な音色であったため、それ以後昭和に至るまで横室の笛師を呼びました。

(渋川山車まつり資料より)


浴衣を着て歩いていると「お相撲さんですか?」と声を掛けられました。

しかし山車の人形の顔は、なんでこんなにも美しいのだろう。

夜は友人と待ち合わせ。「墓の前で待ってるよ」と。墓の前って…。下駄の音をカランコロンとさせながら行く。
怪談牡丹燈籠みたい。

夜の山車もまた妖艷。


前回の山車まつり(平成24年)の直後に祖父が亡くなり、おじいちゃん子の自分にとっては初めての祖父の居ない山車まつり。

囃子の音色に耳を傾ける。

祭りが終わり、夜中の誰も居ない静まり返った祖父の家で横になっていると、様々な場面がよみがえって来る。


翌18日は友人と、群馬県上野村の御巣鷹山へ慰霊登山。
平成23年から毎年行っており、今年で4年目。

午前10時に渋川を出発。

榛名湖、安中松井田下仁田、湯の沢トンネル経由で御巣鷹山へ。

今年は4年目にして初めて、慰霊の園の更に上の、車で約40分そこから山中を歩いて約40分「昇魂之碑」(日航機墜落現場)迄登りました。

一瞬雨が降りましたが、今年も快晴。

帰りは上野スカイブリッジまほーばの森を見学し、神流鬼石、藤岡経由で渋川へ。

20時半に上ノ町着。

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